DV避難で離婚して社会復帰を目指す日記

夫からのDVにより施設へ避難。生活保護になり就職に向け活動中です。

コーヒーの感想

先日のコーヒー豆を飲んでみました。

あっさりというだけとてもあっさりしていました。

苦味もほとんどなかったですね

浅煎りなのでなおさらですね

思ったより美味しくできて満足です!

少人数用のステンレスドリッパーとミルだったので1度に沢山は作れないのがたまにきずですが…

今はステンレスの水筒に入れて飲んでいます

今度はもう少し深煎りで作ってみようと思います

チョコレートと合わせて飲みたいですね

 

今日はコーヒー焙煎をしました

最近手動ミル(子供がゴリゴリしたがる)と

ステンレスドリッパー(掃除は水でサッと流し、何度も使える)を買ってハンドドリップで

コーヒーを入れていたのですが、コーヒー豆が結構お高いので

コーヒーの生豆を購入しました。

1キロあたり1500円でした(送料含め)

ヤフーのポイントを使い1000円ほどで買いました。

苦味があまりないコーヒーが好みなのでそんなお豆を選んでみました。

 

 

初自家焙煎です!

銀杏煎り用フライパンはないので普通のフライパンでやってみます

焦がすのが怖いので恐る恐る煎ってみる…

最初はムラになってしまったのでもう一度煎ってみる

今度は綺麗に出来たー

うちわで冷ましてから冷凍庫にいれてみよう!

飲めるのは2~3日後だから

もう少し辛抱します

 

また飲んだ感想など書いてみます

今日はコーヒー焙煎をしました

最近手動ミル(子供がゴリゴリしたがる)と

ステンレスドリッパー(掃除は水でサッと流し、何度も使える)を買ってハンドドリップで

コーヒーを入れていたのですが、コーヒー豆が結構お高いので

コーヒーの生豆を購入しました。

1キロあたり1500円でした(送料含め)

ヤフーのポイントを使い1000円ほどで買いました。

苦味があまりないコーヒーが好みなのでそんなお豆を選んでみました。

 

 

初自家焙煎です!

銀杏煎り用フライパンはないので普通のフライパンでやってみます

焦がすのが怖いので恐る恐る煎ってみる…

最初はムラになってしまったのでもう一度煎ってみる

今度は綺麗に出来たー

うちわで冷ましてから冷凍庫にいれてみよう!

飲めるのは2~3日後だから

もう少し辛抱します

 

また飲んだ感想など書いてみます

DVについて3

その2の続き

 

警察に着いて個室に案内されました。

個室では女性の警察官が私の体に怪我がないか確認

怪我はなかったのでそのまま話をしました。

話と言っても昨日あったことを追加で話したくらいだったと思います。

 

その間に母から着信がありました。

出てみると元夫が家に来ていると。私が電話に出ないと言ってきたようです

元夫を入れる母にびっくりしたけど、まあ仕方がない…

元夫が聞いているかもしれないので警察にいるとだけ伝えました。

その後、元夫が警察へ来たと。

私と子供の捜索願を出しに来たそうで、元夫にDVで逃げていると伝えれば

捜索願は無効になると言われたのでそうしました。

 

違う警官(刑事さん?)が来て被害届を出すか聞かれましたが

私は子供を犯罪者の子供にしたくなかったので断りました。

結構それでいいのかと粘られましたが、どうしようもなかったので

被害届は出さなかったです。

 

あと、車をどうするか。

車は警察署のパッと見では分からない位置に入れていましたが

シェルターに入ることは決まったけど、シェルターに駐車場がないのです。

家族にお願いしてひきとってもらいコインパーキングで…とも思ったけど

車運転出来る家族がいない…

仕方がない。警察からも「恨みを減らすため」と言われたし

車は元夫へ引き渡すことに。

警察の方と一緒でしたが

車を自宅へ運ぶとき元夫に見つからないかドキドキしていました。

 

使い捨てコンタクトを使っていたけど不具合が出始め、目を開けられなくなってきました。

 

その後に役所へ向かいました。

役所に着くと、奥の部屋に入れてくれました。

役所でも事情を話しました。生活保護は預貯金があったので受けられないとのこと。

もうこの時点で14時くらいになっており、子供も私も限界でした。

仕事先から「夫が職場に連絡してきている」とラインが来ました。

私は「これからシェルターへ行くので連絡とれるときになったら連絡します。」と伝えました。

思うと職場を放り出してすごく迷惑をかけてしまいました…。

その時はもう、色々なことがありすぎて早く休みたかったです。

このラインを送ったら携帯の電源を切るように言われました。

シェルターでは携帯、ネット関係は禁止。

場所を誰にもあかさないことを約束しました。

 

全ての話が終わってからタクシーでシェルターへ向かいました。

結構遠かったのを覚えています。

着いてから簡単な説明を受けて職員の方は帰りました。

簡単なレトルトやお菓子をいただきました。

目を傷めていたのですが病院に行く気力もありませんでした。

レトルトでご飯を作り、子供と食べました。

 

それから私の一時避難シェルターの生活が始まりました。

 

 

 

 

DVについて2

前回 DVについて1の続きです。

 

次の日は仕事に行きました。

接客業でしたが泣きそうになるのをずっとこらえていました。

顔もおかしかったようで皆に心配されました。

仕事をやっと終え、相手の親と元夫と交えて話合いをしました。

本当は店など第三者がいる所がいいと思っていましたが、言える雰囲気ではなく

実家での話しあいになりました。

相手の親は元夫を責めるような感じでした。味方がいない元夫はよけいにムキになるばかりで話し合いになりませんでした。

離婚届けを出されたときにサインをしたかったのですが、子供が向こうにいる状態で

親権が取れるか心配だったのです。

あいまいにしました。

私が全部悪いと言って泣いてすがれば離婚という考えを回避出来たでしょう。

でも、もう謝りたくはなかったのです。

お互い悪いのではなく100%私が悪いと思っている相手に。

何度もしてきたので限界でした。

 

子供を元夫の友人に預けたので引き取りに行くと元夫が言ったことを

相手の親は「奥さんも連れて行きなさい」と言って私を車に乗るよう言ってきました。

何度も子供に会いたいと言って、根負けした元夫についていきました。

その間も罵倒が続いていたけど負けませんでした。

子供に会えたときとても嬉しかったのを覚えています。

何とか子供と一緒に家に帰り寝ることになったのですが、

子供がどうしても私と寝たいと元夫の所に行くのを嫌がりました。

元夫は不機嫌ながらソファーで寝ました。

朝、早く起きました。

子供も元夫も寝ていました。

この時に私は、「今、子供を連れて逃げよう」という想いで一杯になりました。

頭の中に警告音が鳴り響き、警察に電話するときも手が震えていました。

必要な最低限のものを持ち出し、子供を連れて逃げました。

抱っこしたときに子供が「げえー」と言ったので元夫が起きるのではとハラハラしましたが起きませんでした。

エレベータは待っている間に追いつかれてしまうと考え

階段から駆け下りて逃げました。

「追いつかれたらどうしよう。ただじゃすまないな」という考えが

ずっと心を占めていました。

私は警察に電話をして今からそちらに行くと伝えました。

その直後に元夫からの着信の嵐が

 

 

その3へ続く

 

DVについて1

今回はDVの発端から書いていきます。

元夫は昔やんちゃなタイプでした。

当時の私は過去は過去、今は今と思っていました。

家族を大切に思う彼を見て、この人だったらどんな苦労も一緒に超えられると

思っていました。

今思えば普段は自分のだめな部分を隠すので精一杯だった。

元夫は相当負担だったと思います。

 

私自身、初めての子育てや仕事の両立で精一杯で相手のことを思いやる余裕もなく

相手の役目を当然だと思っていました。

 

彼の中では私は下の存在で

お互い悪くても全面的に私が悪いと認めないといけなかったです。

 

まあ暴力振るわれた理由は

味付けが薄かったとか、下ごしらえが出来てないとか

引き落としのものが引き落とされてなく通帳を確認しようとしたときとかでした。

あと仕事の日に起こしたとき。殴るふりをされました。

 

最初に暴力を振るったときは謝っていました。

段々謝らなくなり暴力のスパンも短くなっていきました。

私の名義で勝手に借金をしたりしていました。

暗証番号を教えるように言ったり、何度も勝手に使われるので変えようとしたら

激怒したり。

もう家庭を続けていくのが困難になってきていました。

それでも、子供には暴力はなかったので父親がいたほうがいいと思っていました。

とても、長い間悩んだと思います。

 

私の中で離婚を決意したきっかけがあります。

暴力を振るわれたとき

まだ小さい子供が私をかばっていました。

それを見て目が覚めました。

子供にこんなことをさせてはいけない。

見せてはいけないと

この出来事の少し前に「嫁は家族じゃない。子供は家族」と言ったことは

とてもショックでした。

家族でないから暴力を振るうのだとそう言っていました。

プロポーズのときには「家族になって欲しい」と言っていたのに

家族でないと思っていたことがショックでした。

 

加害者プログラムへの参加も真剣に伝えてみました。

でも「一回だけなら参加する。あとはパチンコ代ね」と

それを聞いて「もう無理だ」と糸が切れたのを覚えています。

 

9月に別居しようと決めていました。

その中で子供が熱を出してしまい、私は仕事だったので

元夫に迎えをお願いしました。

彼は激怒しました。理由としては「子供の為の車だ。お前が迎えにいけ」というものでした。

前日も早退していること、元夫は休みの日だからと伝えました。

それでも怒りはやみません。結局バスで迎えにいったと言っていました。

そのせいで熱中症の症状が出たとも言っていました。

持ち金がないことも知らなかった(財布を勝手に見ると怒る)のでタクシーで迎えに行っているものだと思っていました。

仕事が終わって家に帰ると、私は家に入れてもらえず締め出されてしまいました。

もう色々と限界だった私は警察を呼びました。

パトカーで警察署に行き事情を話しました。

私の親と向こうの親にも連絡がいきました。

向こうの親は遠いところにいるので行くことは出来ませんでしたが

私の親に迎えにきてもらい、その日は実家に泊まることになりました。

次の日も仕事でしたがろくに寝られませんでした。

 

その2へ続く

 

 

 

DVシェルターについて

headlines.yahoo.co.jp

 

このニュースを見てシェルターにも色々な形があるんだなと思いました。

確かに最初に避難したシェルター(緊急避難的な場所)では

スマホもネットも使えませんでした。

でもトイレ風呂は個室にありましたし、DVDや本が借りれたのは嬉しかったです。

あと、他の入居者さんとの会話は禁止ほどではなかったですが、会う機会がなかったですね。

近くにスーパーもあったので買出しに行ったり、図書館で本を借りたり

比較的家から近い所だったので夫に見つかるんじゃないかととても不安だったのを覚えています。

 

私の今いるシェルターは門限はありますが、アパートに近い感じです

風呂トイレ共同は子供がいて大変だと思ったので別々を希望しました。

 

生活保護をもらっていますが、とても焦りがあり

早く自立しなければと思っています。

それでも「あせらなくていいよ」と言ってくれる職員の方には

ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちがあります。

イベントもあったり、相談にものっていただいたり、カウンセラーもいるので

本当にありがたいです。

早く内職じゃない仕事を見つけたいです。